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紙芝居「水のトンネル~飯豊山穴堰のはなし~」

1月25日(水)に、あ~すまいりーずの代表にご来校いただき、4年生の社会科の授業のゲストティーチャーとして、飯豊山穴堰について説明していただきました。
 1月16日(月)の山形新聞朝刊「ふるさとの文化財」のコーナーで、県の指定史跡として紹介されたばかりでしたので、子どもたちも興味深く学んでいました。
 「水のトンネル」という自作の紙芝居で、飯豊山の豊富な雪解け水を引く構想を米沢藩に献策した奥田村の横山平左衛門、小国町の玉川上流から飯豊町の白川上流に流れを変える工事を発意した藩主の上杉鷹山、和算を得意として測量技術を駆使した藩士黒井半四郎らを分かりやすく紹介してくださいました。また、実物の写真や用水路を記した手ノ子小学校区の手作り地図を提示してくださいました。
 子どもたちは、工事の意義や当時の人々の苦労等について理解を深めることができました。この場をお借りして、改めて感謝申し上げます。

以下、感想の一部を紹介します。

 わたしが初めて知ったことは、羽越水害で穴ぜきは使えなくなったということです。
 もう一つは、穴をほるのに20年かかったと聞いて大変だったんだなと思いました。
 びっくりしたことは、岩をほる作業で火を使うということです。火を使わないで、ずっと金づちとたがねでほり進めているかと思っていました。
 教科書には、黒井半四郎はつかれのためか53さいでなくなったと書いてあったけれど、紙しばいでのうの血かんが切れてなくなったと聞いて、これもまたびっくりしました。
 なかなか分からないところがあったけれど、先生の紙しばいで穴ぜきのことが分かってよかったです。